僕は家族のために、お金を稼ごうと必死に働いた。
…つもりだった。
でも現実は違った。
稼げない。
体は壊す。
時間はない。
休みの日は疲れきって何もできない。
「全部ダメじゃん」
そう思った。
それでも、妻と子供はそばにいてくれた。
だから、もう一度動こうと思った。
僕は型枠の二次会社にいたので、仕事は一次会社からもらう立場だった。
「一次会社は変えずに、グループだけ変えたらどうなる?」
そう考えて、移動を決意した。
5歳上で親方をやっている知り合いのところに入ることにした。
ここで僕は、また大きな選択をすることになる。
「この現場、君に仕切ってもらうね。人数はそろえるから」
え?
僕はその親方と一緒に仕事をすると思っていた。
でも実際は違った。
最初から“任される側”だった。
一応聞いた。
「職長手当、出ますか?」
「出すからお願いね」
――また始まった。
この親方の考えはシンプルだった。
「この人数いれば終わる」
でも現場はそんなに単純じゃない。
できる人もいれば、何もできない人もいる。
それでも全員が“同じ1人”。
当然、うまくいかない。
「なんで終わらないの?」
そう言われる日々。
唯一よかったのは、お金だった。
このときの給料は、今(36歳)の自分よりもはるかに高かった。
正直、嬉しかった。
認められた気もした。
でも――
「なんか違う」
そう思っていた。
稼げる。
でも、また体を壊す未来が見えていた。
何より、全然楽しくなかった。
1年も経たずに、元の親方のもとに戻った。
いわゆる“出戻り”。
でも、ただ戻ったわけじゃない。
「あのグループでこれだけ稼ぎました」
そう伝えて、給料を上げてもらうことに成功した。
そして、はっきり言った。
「職長はやりません」
それでも、人生の方向性は決まらなかった。
どうしたら、楽しくて幸せな人生になるのか。
ずっと考えていた。
そして、ある考えにたどり着く。
「人に使われてる限り、ずっとつらいままじゃないか?」
「だったら、自分の力だけで稼げればいい」
仕事をしながら、空いた時間で家具を作り始めた。
最初は自宅用。
そこから販売へ。
テーブルを出すと、ほとんど売れた。
「いけるかも」
そう思った。
でも現実は甘くない。
作るスピードが追いつかない。
生活費を稼ぐレベルにはならない。
1年続けて、出した答えは――
「無理ゲーだな」
この頃、気づいた。
「自分のこと、何もわかってない」
もしお金も条件も関係なく、自由に仕事を選べるなら――
何をやる?
答えは出なかった。
型枠しか知らない人生だったから。
「じゃあ、日本一の型枠大工を見てみよう」
そう思った。
仕事も、お金も、全部すごいはずだ。
調べて、調べて、調べまくった。
そして――
自分が納得できる会社を見つけた。
「行ってみたい」
僕の知らない世界へ。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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【第6話】30歳からの移動の旅


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