型枠大工のお話(2)

型枠関係

変わるときが来た

倒れたその後(26歳)

 

僕は家族のため、お金を稼げるようにと頑張った つもりだった。

稼げないしカラダ壊すしいつも時間無いし休みの日は疲れきって何もできない

全部ダメじゃん

でも妻と子供はそばにいてくれた

移動を決意する

僕の型枠のグループは二次会社なので仕事は一次会社にもらいます

一次会社は変えないで今のグループから離れて違うグループに入ってみたらどうなのか?

移動してみた

歳が5個上で親方をしている知り合いがいたのでそこに移動を決めた

そこで職長をやることになるとは…知らずに(涙)

長ーいお話になってしまうのでざっくり行きます

ここの親方は人数がいればどんな人でも同じって言う考えだったので

この仕事はこの人数がいれば終わるなって最初に計算してやる人でした

「この現場君に仕切ってもらうね!人数はそろえるから頼むね」

僕はその親方と一緒に仕事をすることを想像していたので、戸惑った

お金の話を聞いてみた

職長の手当出ますか?

出すからお願いね

そんな感じでまた始まってしまった

仕事内容は酷いものでした

仕事ができる人、入ったばかりの何もできない人、みんな同じ人数の1人だったので…

何でこの人数で終わらないの?

なんて言われてました。

でも進歩はあった

給与の額が最高金額でした。

(今36歳の給与よりもはるかに高い)

確かに嬉しかったし

認められた感はあった

正直僕は違うなって思った

確かに稼げるけどまたカラダ壊すだろうな

全然楽しくない

1年もたたない内に元の親方のところに戻りました(出戻りってやつです)

ただ出戻りしたのではなく、あそこのグループでこれだけ稼ぎましたって言う報告をして給与を上げてもらうことに成功

それと職長は一切やりませんと…

自分の人生の方向性が定まらないまま悩み続けどうしたら楽しい幸せな人生が続くのかを考えながら仕事をしていた

28歳から30歳まで

このころに

人に使われていたらいつまで経ってもつらいまま、だったら自分の力だけでお金を稼げればいい話じゃん!

っと思い仕事しつつ空いている時間や休日を利用して家具を作り出した。

最初は家で使う家具から作って練習をしてからハンドメイド販売用のテーブルを作って売ってみた

出せばほとんどの商品が売れた

しかし作るのが追いつかない

生活費を稼ぐなんて到底無理だ。

1年ほどやっていました

お金稼げたけど無理ゲーだよなぁ

この頃に自分の性格や感覚

自分のことがわからないことに気づいた。

自分が条件とかそういうお金とか何も考えなくていい状態だとして仕事を選べたとしたら何をするだろうか?

全然答えが出てこなかった。

今まで型枠しか知らない僕にはさっぱりわからなかった。

長く続いているので好きなのかな?って思っていた。

それなら日本一の型枠大工をみてみよう!って思った

やっぱりすごいんだろうな

仕事も

お金も

何もかも

調べて調べて

自分が納得のいく会社を見つけた。

行ってみたい!僕の知らない世界へ

ここまで見てくれてありがとうございます

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